最近の🍎君。心情闘争のその後と趣味

こんにちは。

 

この記事を開いてくださり、ありがとうございます。

しばらく更新をしていませんでした。

 

はてなブログは不思議と書きやすいです。

言いたいことを。

あと、何気に続いてます。

 

読者の方がちまちまいるからかもしれません。

たまにのぞきにくるにはちょうどいい時間つぶしになるブログを私は書いているのかもしれません。

 

私がこのブログをはじめた頃、ブックマークをつけていた方は社会人の方でしたが、3年前から記事を更新せず、非公開にしているようです。

 

フォローされては消えていった人もいます。

人の流れは変わるものです。

 

変わるといえば......

 

私もこの一年で随分人格が変わったのではないかという気もします。

私は変化する、ということがあまり好きではありません。自分のかつて良かった部分すら変わるような気がするからです。無垢だったものが、社会や人間によって汚された気分になります。「変化する事」が正義みたいに主張している大人たちは嫌いです。そんな簡単に変われるお前の自我はどこにあるんだよ?と思います。軸が無い人なんだろうなあ。と鼻で笑ってしまいます。そういう人は常にマジョリティーの主張している発言にのっかっていれば安心だとか思っているのでしょう。本人もおそらくそのことに気が付いていないところがおめでたい頭していると思います。

もちろん、この記事を読む読まないの変化は自由です。そういう意味での変化は特に問題にしていません。

 

最近の私は、つかの間の安息を得ています。

まあ、この安息がいつ消えるかはわかりませんが。嫌な事というのはどこから降ってくるかわからないものです。

まあ、どうせいつくるかわからないなら、安息は安息として安息を味わっていればいいと思います。どうせ嫌な事を避けられはしないのです。こうして私が安息を味わっている間にも負はどこで進行しているかわかりませんし。反対に負だと思っていたことが実は正だったということもあるかもしれません。負が原因となって正が起こるみたいなこともあるかもしれませんし。

この自分にとって良い事、嫌な事というのは自分の力で左右させる、というのはなかなかできないことです。だから、自分の中が常に幸福なら、常に幸せ、みたいな本が出てくるのかもしれません。

 

私の修了は決定しました。

クソアカハラ馬鹿教授からも無事、単位がでました。そいつの単位が出なかったとしても、単位はとれていたので無傷ですが。

つくづく意味不明な大学だと思います。私の指導担当は別の先生なのに、なぜか学校に提出する書類にはそのアカハラ馬鹿の名前を指導担当に書いて論文を提出しなければなりませんでした。「学校の都合」と言われましたが。指導担当の先生が公式に定年するからだと思われますが、その先生は来年も授業を持つようです。非常勤、という立場になるのかはわかりませんが。確かにその先生は年齢はちょうど定年という感じでした。

口述試験もその先生がしたのに、なぜ、あのクソ教授の名前を書かねばならないのかわかりません。教務課に最後に言いつけてやろうかとも思います。まあ、人権相談センターに相談はしていたのですが。他言はしないとのことですが、なぜか人権相談センターの弁護士に相談した後、そのクソ教授の反応がマイルドになったのですが、これは私が相談しに行って、ちゃっかり録音していることがクソ教授に伝わったのでしょうか?

 

まあ、腐ったミカン箱です。院に進学すると学内の嫌な部分が垣間見れます。

権力、生徒同士の見栄、傲慢さ、がです。

生徒、という表現は不適切かもしれませんが、生徒、という書き方をしておきます。

「研究者」という言葉は使いたくないです。生徒同士が見栄をはりまくる理由はなんとなく理解できます。私ははじめから学校から出る予定でしたのでその件に関しては無頓着でしたが。なぜ見栄をはるやつが妙に多かったかといえば、大学の質が悪いからとも、性格が悪い奴が極端に多かったからとも言えますが、研究を続けると、そこに続く道は狭く、険しいものだからだということだと思います。他人を蹴落とさないと生き残れないと思っているからこそ、周囲の進捗具合を見て、焦りを感じ、それを隠すかのごとく偉そうに振る舞うのです。もしくはその鬱憤を身近な自分より学力がなさそうな恋人、友人に向けるのです。無能はお前の方だと気が付いてほしいです。「狭い箱の中でしかいきがれない腐ったミカンはお前な」とむしろ馬鹿にされていることでしょう。皆さんの中にも愚かにも学歴自慢しているか、「俺は研究者だ」というような態度のでかい奴がいたら、上のように言ってやるか、オブラートに包んで言ってあげるか、心の中で「まあ、かわいい。きっと、本人が主張するほど研究が上手くいってないのね」とほほ笑んであげてください。

教授陣はまた別の権力闘争があるのでしょうが、まだ、研究者の中でもヒヨッコという場合はおそらく上に書いたような部分が多少あるのでしょう。私の知らないところではもっとひどい場合もあるでしょう。

 

よく、「いじわるする人はね、その人が上手くいってないの」という言葉を聞きませんか?私は何回か言われたことがありますが、ぶっちゃけ、その時は、単に同じ人間としての人権も認めたくないような人間の皮をかぶった悪魔、怨霊がいるんだろっ、私を目に付けて遊んでるんだろっ、と思っていました。

しかし、今となってはなんとなくその言葉がわかります。奴らをまじかに観察、いや、見せつけられた私は彼らのお子様な心理がわかる。以下のように翻訳してみます。

 

本当は無能だけど、虚勢を張りたい、自分が無能だとうすうす気が付いているから、とにかく当たり散らしたい、という心理、「あー自分の研究進んでないけど、教授の話に媚びといて研究してることにしておこう」という媚びた女の心理、「あー自信ないなア。とりあえず、前置き長くして、知ってます風を出すか」という見栄の心理。

 

こんなところです。思いつくだけ。実は偉そうな人や足を引っ張る人にはお子様な心が泣いていて、それを自分の努力と実力で渡り歩ける自信がないので、とにかく人に嫌なことをするのです。

 

そう、どんなに学歴が高かったり、いい大学を出ていたりしても、人格が優れているわけではないのです。それを本当に実感している人だけがこのことを理解できます。

 

私はもし、これからの人生で、学歴が世間からみて低いと馬鹿にされていたとしても、一生懸命に自分で学習して、仕事を立派にこなしている人がいたら、おそらく関心すると思います。あの頭でっかちなだけで人格が歪んだ馬鹿とは比べものにならないほどの徳を感じると思います。

そういう面でいうと企業も馬鹿だと思います。いい大学を出ている人が優れていて、それがわが社に入る一つの条件だと区切っているとすれば。何も見えてないなア。と思います。そんな企業に入社しなくてよかったです。大人だって愚かです。愚かな人は愚かです。なのに、大人=子どもよりものを知っている、と判断することはできません。その人個人の人生をふり返ったときに、どれだけ、その人が工夫して、努力して、磨いてきたか、ということが重要だと思います。

 

まあ、人を見る目の無い人って、実は虚勢を張って、なりたい自分を演じているだけの人と、演じなくてもそうである人を見抜けないのですよ。あーおろかおろか〔笑〕

 

全く、私の安息の地はいったいどこにあることやら。やれやれ。

たぶん、誰かの居場所に私が入ることはないでしょう。

私が勝手にやっていることに対して、「ふーん。仲間に加わってやってもいいけど」という人がいれば勝手に私のパーティは増えるでしょうが。まあ、私は見た目がぶっちゃけ良いので、寄ってくる人が全て人格で判断している人とも限らないので、私も自分をこれからも磨いていく必要がありますね。私は割と真面目で努力家ですが。きっと、相手が持つ理想を私に投影してしまうのでしょうね。でも、人間関係ってそんなものでしょうか?とすると一人の人の人格をきちんと静止して見れる人というのはなかなか珍しく、人格というのも結局見る人個人個人によって判断されてしまうものであるなら、人格というのもよくわかりませんね。

 

人間に失望しました。いや、人間が少ないことに失望しました。

わけ知り顔で相談とかにのっている巷にいるカリスマ風情には注意してください。ツイッターで相談事をやっている才能の無い人で、その才能の無さを隠すかのごとく自分は本も読んでて、豊かで~とか思っている馬鹿に相談するより、自身の心の中に相談するのが一番いいですよ。愚か者はいつまでたっても愚かなのです。生得的に徳が無いのです。

 

「そういうお前はいつもこういう人間の失望系ブログしか書けないの?」って思いますか?

 

私は幸せ、というのはあまり人様の前に出したくないのですよ。

人の幸せを人は嫌いますからね。いつ、踏みにじられるかわかったものではありません。だから、自分の幸福というのは、水面下で進めるのです。ほら、だから、文句いいつつも論文提出してたでしょ?いつの間に。そしてちゃっかり、修了決まってるしね。

そしてちゃっかり、就職も決まってるしね。

私は自分の幸福を自分と幸福の種を育てたい人にしか出しません。

「私の領土に入りたくば、徳をみせいっ。そうしたら貿易を許してやろう」と私も大きい口をたたきたくなります。

人は努力を見ずに、人の幸福の結果を見るので、妬むのです。無理解な馬鹿は文句言わず、努力しろ。と思います。いい迷惑だわ。まあ、世の中には七光りと媚びでのし上がり、それを自分の実力だとか思っている人もいるので一概に努力してきた人だとはくくれませんが。

 

一方で、ほそぼそと立派なものを作り上げるひとというのは目立たない人が多いですね。作品にせよ。

 

ツイッターやネットののりでくだらないことをそれらしくつぶやいている馬鹿ほど目立つのは人間の腐った部分がそうさせるのでしょう。

 

最後に私が最近趣味で作っているお人形洋服の一部を公開したいと思います。

ださいと思うかもしれませんが、自分は楽しいのでいいです。認められたくてやっているわけでもないですし。

 

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お人形さんの洋服1

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お人形さんの洋服2

これ以外にも作っているのですが、とりあえずこの二枚をあげておきます。

無断転載、自作発言はもちろん禁止でお願いします。

フエルトで作っています。スカート部分は100均のはぎれでつくりました。

 

他にも趣味でやっていることはあるのですが、またの機会に。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。