熟したりんごくんの世界像

私の見える世界

他人を隠すことで瞳を得る2

 

こんばんは。

 

アクセス数が100を越えました。

私の記事をのぞいて、この記事に時間を費やしてくれてありがとうございます。

 

今回は私の反省みたいな記事になります。

 

暇な方だけ見てください。しょうもないこと書きます。

 

最近は私には珍しく、ブログを更新しています。

何気に、使いやすいのと、他の人たちのブログを読むことが、意外と楽しかったし、同じ大学生なのに、私よりはるかに皆さんが、発展していると思いました。

大学生で無い方もそうです。

 

発展しているというのは、大学生活が充実しているとかそういうわけではなくて、自分なりに思ったことを繊細に書いていると思いました。

読んでいて面白いです。羨ましいです。

 

私のこのブログをたまたま読んでくださった方は、

「なんか、幼稚・・・かわい~・・・ダッサッ・・・」

ぐらいの生暖かい目で見てくれればいいです。

 

 

他人に支えられた自分ではない大学生。

私の臆病さがにじみ出ています。

他人の価値観ではなく、自分で決める。自己開示することは私にとっては怖い。

今までの私は矛盾しているのか、二人分いるのかだったのかもしれない。

 

私はひとり好きだった。ずっと他人と一緒にいることができなかったし、ずっといると、いや、短時間でも相手が気持ち悪く見えてきてしまう。し、前にも書いたように、自分のペースが乱れるのが嫌だ。すぐにイライラする。

 

そんな反面、自己愛が(プライドが高いのか)他人に馬鹿にされるのが悔しくて、また、自分が生まれながらの能力ナシであることの劣等感から、他人によく見られようとしていたところがあった。

 

ひとり好きで、ひとり生活ライフは全く苦ではない。ひとりでいないと逆にストレスがたまる。のぞんでひとりになる。し、楽しい🍎

しかし、自分の自己愛のプライドから、私でない行動(相手の私像に合わせて相手が私のことをこう思っているんだな。ということを素早く感知し、相手の私像に合わせる)を行うのはとても苦痛だった。これで余計に相手のレッテル貼りにうんざりし、めんどくさくなる。

 

しかも、よく見られようとすると言っても、他人に好かれたくないという心も入っている。これは好かれようとする人間が私を利用し、利用される人を見てきたからだと思う。そういう人間が醜く見える。が、それを指摘しようものなら、私は、悪人に悪人だと仕立て上げられる。相手の思うつぼだ。私の思い込み過ぎ・・・?

 

 

人に良く見られたいというのは(全くもって嫌われ者なのだが・・何もしてないのに)何だったのかというと、他人も私をけなすように、私は他人からけなされる前に自分から相手をけなすことによって自分を守っていたのであった・・・多分・・・

 

また、意地も張っていた。どういうことかと言うと、本当は興味のある人間がいたのに、拒絶されるのが怖くて諦めたこと。別に友達になりたいわけでは決して無いのだが、なんとなく同じ匂いがする人なぁ~・・・

 

だから、私は怖くて今まで自己開示をしなかった。

そう、しても受け入れられないだろう。そもそも私は相手に受け入れられるほど、面白くはないし、関わる価値ナシなのだから。

でも、それでいいのよん。私はひとりを満喫しているのだし、馬鹿にされても、もう治らん。受け入れられても、きもいだけだし。どういうところがかというと、うさんくさくて、適当なコメントしかないから。

 

あ、あれ・・・自己開示云々言っといて、また、他人をけなして、自分を保守して・・・る・・・?

 

これは、自分に自信が無いところからくるものだわ。いや、反面私はものすごいナルシなんだけど・・・

 

あああ・・・

では、他人をどうするか。

本当に他人を捨て去り、自分に集中する方法は・・?

逆に他人を見ることか?多くの考えを知ることによって、自分はこうするな。とか言うのが、あるだろう・・

 

どう見ようか・・・今まで他人の心に無関心だったのか、いきなり観察って意味わからん・・・

うーん・・・

他人と関わるとき動作も少しは見てみようかな・・

私、相手のこと、ほとんど視界に入れないの・・

 

しかも、ある程度人と関わらないと、相手の裏の意図は読めないなあ・・・

 

あとは、やりたいことやります。

もう、大学の予定なんか知るか。もう意味を無くしたのだよ。

つまらないものは無理しませーーーん。行きたい時でいいや。

単位もたまっているしな・・・