腐ったりんごくんの鬱屈した日々

ぼんやり気ままな鬱屈した毎日を送る大学生

他人を隠すことで瞳を得る

 

こんばんわ。

 

なんか、タイトルが中二みたいかな・・・?でも、私は中二じゃないよ。

 

そう思ったから書くんだよ。

 

2017年はこうしようというのが、現れた結果なのだよ。

 

今日も中島義道先生の『どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?』

を取り上げて少し書きます。

・知的で高度なぐれ方。

・各人が与えられた状況の中で考える。

この二点を絞った。

 

自分固有の快楽の追究も知的で高度なぐれ方ということなのかはちょっとピンとこない。

 

apple104kun.hatenablog.com

 

じゃあ私のこの心が腐り続けることを磨きあげるのも、一つのぐれ方?

私の掛け値なしのアホさ加減に自分も少し焦りを感じ始めた。

大学生なので、大学を卒業した人たちが、「重要な期間だった。楽しかった。」

というのがいまいちまだわからないし、楽しくないし。でも、社会人になったら私はいつか発狂してしまうかもしれないと本気で思っている。

何のために生きているのかただでさえわからない上に自分のやりたくないことに自分の人生を費やすのか・・・でも一部の人しか満足のいくように生きれないし。

 

生きるって、なんかなぁ・・・虚しくなるようにできてるの・・?

私を失望させるようにできてるの・・?

 

まあ、私の鬱屈さ加減は、まだまだ青い果実なのかもしれない。

もっと熟れた腐った果実はあるとは思うが・・・

 

では、私は大学生活という有閑階級の一員としてどうしようか・・・

 

私は他人を捨て去ることにした。他人を捨て去ると言うのは、他人を無視というわけでもなく、他人と比べることによる自分の劣等感を膨らませるのはやめようと思ったの。

 

でも、やはり、このことが私にとって居心地の良いものなのかもしれない。

しかし、やはり、劣等感は完全には捨て去れない。あるいみこいつが私を支えている可能性がある。

「この人は、馬鹿そうに見えて、関心した。」

と思った時は、かなり焦りを感じる。やはり自分はアホなんだ・・・

 

他人ありきの歪んだ自己愛。

私は完全に自己愛が悪い感情だとも思っていない。ただ、私の場合は歪んでると思った。

私が他人を自分の自己愛を満たすための道具だと思っているからかは知らないが、私が他人と関わりたくない理由の一つにこのことがあると思った。

 

「他人の自己愛を満たすための道具として私が他人にとって存在するから。」

そう、他人は私のことを鼻から対等だとは思っていない。みんなの前では関心するふりをしていい子ぶり、私の前では徹底的に心の中で馬鹿にしているのである。

そう考えると、皆が言う、友人なんて言う関係もそんなもんのような気もしてくるし、

実際そうなのだと思う。わざわざ気を使ってまで、なんでほしいのかわからん。

関係性をつくらずにはいられない人間の考え方が嫌だ。

私は他人との意見交換はいいけど、意見交換するには、友人承認が必要です。みたいな考え方が嫌だ。

単純にめんどくさい。こういう私もめんどくさい。と思われる。

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【画像と記事は関係ございません。無断転載はおやめください。】

 

あ、ここまで書いてきて、最初書こうとしていたことと内容がずれてしまった。

 

各人が与えられた状況の中で考える。ということで私の現状から書いて、2017年の方向を書こうと思ったのに・・・

 

長くなりすぎる記事は私はあまり好きじゃないので、今回はここで打ち切るよ。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

またこの続きは2という数字をふって書きます。