熟したりんごくんの世界像

私の見える世界

自分の全てがまちがっているという感覚がとてつもなく苦しい

 

 

 ずっと前からそうだった。

 

自分の選択の全てが愚かな人間の考えることのようで、

全てがまちがっているという気がしてならない。

 

 

多くの人の立場や、意見、批判を受け入れることは、

自分を守ることに繋がると思っている。

だって、変な失言とか、自分本位でものいうこともなくなると思うし、

(まあ、結局は自分本位なんだけど)

「あいつ、あんないい加減な事言ってる。」

とかは防げると思うし。

竹宮恵子の漫画、『風と木の詩』を読んでいるととくにそれを感じる。

愚かなモブと魅力的なキャラクターの差がはっきりにじみでている。

 

私は、他人の意見をかりて、立派に見せかけるようなことはしないで、

自分の中のものを一応いうように意識しているけれど、すべて愚か。

全てが否定される気がする。

いや、否定される。

 

自分の尊敬?していたのだろうか?

人には、認められず、

どうでもいい人には好感が持たれる?のか?

というようにも思う。

 

類は友を呼ぶ

とも言うけれど、私の中の全てがまちがっているいじょう、

その相手も愚かなのではないかと勘ぐってしまう。

 

 

あああああ・・・・・

 

カインの印を孤独の象徴のように描くことがあるのをわたしは見るけれど、

私は本当に孤独なのは、アベルでもカインでもないクソ虫だと思った。